【社協不要論】福祉は頼るものではない!自分で掴むものだ
僕は福祉が嫌いだ。
僕は大学時代、福祉を学んだ。
授業やボランティア活動の一環で障害者施設や高齢者施設など、いわゆる社会福祉施設にもたくさん行った。
大学時代に社会福祉士の受験資格もとった。
でも、僕は福祉が嫌いだ。無論、社会福祉協議会(以下、社協)という組織も無くなればいいと思っている。
「福祉」って何なのか
ニュースなどで、「児童福祉」、「障害者福祉」、「高齢者福祉」、といった表記を見かけるが、この”福祉”とはそもそも何ののだろう?
Wikipediaには次のように記載されている。
福祉(ふくし、英: Welfare)とは、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す。
福祉=幸せならば、社協という組織は、児童や障害者、高齢者の幸せを協議する会ということになる。
こんな組織、即座に解体すべきである。
人が人の幸せを協議する(決める)なんておかしな話だ。第一、何が幸せかなんて本人にしかわからない。
幸福の条件と社協のあり方
では、幸せとはなんだろうか?
良い生活?美味しい食事?友達と月1回行く旅行?・・・・・・・
人によって”幸せ”は異なるだろう。何が幸せかなんて本人にしかわからないのだ。
ただ、幸せへの条件を1つ挙げるとするならば、僕はお金だと考えている。
お金がなければ美味しい食事を食べることもできないし、旅行に行くこともできない。お金とは幸せを得るための道具なのである。
ならば社協という組織も、お金を稼ぐ、仕事を創ることにフォーカスチェンジすべきである。
例えば、求職者がインターンシップできるように調整を行ったり、何かしらの技術を教えたり・・・何でもいい。
とにかく社協という組織は、お金を稼ぐ、仕事を創ることにフォーカスチェンジすべきである。
生活保護の方向性
生活困窮者を救済する制度として「生活保護」という制度がある。
この「生活保護」という制度は海外でも行われており、大学時代に聞いた話しでは福祉先進国と言われるデンマークやスウェーデンでは、次のようになっているらしい。ざっくりとだが日本の制度と比較してみたい。
<日本の生活保護制度>
- 手持ちの(お金に換えられそうな)ものを全て売る。
- 売れるものが無くなってから初めて申請できる。
- 申請が認められれば月に10数万円受給できる。
<北欧の生活保護制度>
- 申請。
- 申請が認められると、自治体から100万円が給付される。
- その100万円をもとにビジネスを行う。
- 売り上げの中から最初に給付された100万円を返済していく。
- 返済を終えた後、(そのビジネスを)続けるかやめるか選べる。
あくまで、ざっくりとした比較なので抜けている所もあるが、北欧の生活保護制度は上記のようになっているようだ。
つまり、日本の生活保護は「配るだけ」なのに対し、北欧の生活保護制度は「生活再建」まで見据えているのである。
日本の生活保護制度も「北欧型」に移行すべきである。
配ってばかりでは根本的な解決には繋がらないし、国としても支出(借金)が増える一方だ。
税金を投入するのであれば、「技術」や「稼げるビジネスパーソン」を育てる環境を作った方がプラスだろう。
また生活保護を巡っては、『保護費の支給日に受給者がパチンコ店に並ぶ』というニュースを聞くが、せっかくパチンコをするなら、自分技術力で好きなだけ稼ぎ、好きなだけパチンコをした方が絶対に楽しい。
さいごに
さて、偉そうに色々と書いてみたが、この記事で僕が言いたいことはこれに尽きる。
”福祉は頼るものではない!自分で掴むものだ”